先日、樹木希林さんがお亡くなりになられ、
独自の「死」への向き合い方に、注目が集まりました。

誰もがいつかは迎える「死」。
生きている以上、仕方のないこと。

樹木さんは、『余命』を宣告され、葬儀の場所の下調べや遺産の整理など
おおかたの事は済ませて旅立たれたのだといいます。

また、自分に死が近づいているからといって、
家族に何か特別な思い出作りのようなことはしないでほしいと願い、
できるだけ「自然に死を受け入れていきたい」とおっしゃったそうです。

自分に置き換えたときに果たして、冷静でいられるのだろうか…。
樹木さんの『死』との向き合い方は、多くの人に考えさせられたことでしょう。

私ごとですが、肺がんを患い亡くなった叔父は、医師だったこともあって、
日に日に弱ってゆく自分の余命がどのくらいなのか理解していました。

息苦しそうにしながらも、自宅で最期まで過ごし、家族に見守られる中、
静かに旅立っていきました。

亡くなる前には、葬儀の手配と、ご参列いただく皆さまへの手紙もしたためていました。
葬儀で司会者が代読してくださった時の会場のざわめきを未だに覚えています。
なかなか、亡くなった本人から手紙と御礼というのもありませんから、驚かれたことと思います。

樹木さんは、娘夫婦と同居する時、
「孫たちに人の死というものを見て欲しい」という思いがあったそうです。

最近では、住環境的にもペットもなかなか飼えず、祖父母との同居も減り
若い人たちが『死』というものを身近に捉えられなくなっているとよく聞きます。

私も大好きだった叔父や祖母の姿から『生きるということの意味』、
そして『死』というものを教わった気がします。
身を持って私たちに教えてくれた最期の『教え』だったと思っています。

正直、『死』との向き合い方なんて、その時にならなければ分かりませんが、
それでも自分らしく生き、自分らしい最期を迎えられたらと思っています。

最後になりましたが、樹木希林さんのご冥福をお祈りいたします。

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digiport-am

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